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断片的な記憶
「お前が女だったらな」の一言で伸ばし始めた黒髪は、いつしか
切るタイミングを完全に失った。
好きな人は同性だった。
それでも友達と割りきれない
自分に嫌気がさした。
何度女に産まれればよかったと
思ったか、あの子みたいな
体つきじゃないのか、
あの子みたいな声じゃないのか。恨んでも矛先は部屋の隅で蹲ったつま先に向けることしか
できなかった。
いくら髪を伸ばしても、容姿を
整えても、君の横顔ばかりを
見ていた。
君が、他の誰かを見ているから。
「お前は男だもんな。」
その一言で息の仕方を忘れた。
隣を歩くのはいつか私じゃなく
なる、友達止まりにしか成れない私はどうしたらいいのか。
否、どうすることも出来ないのを自身が1番理解していた。
休みの日に理由もなく会えるのは私がいい。
おはようからおやすみまで
いいあうのも、手を繋ぐのも、
見つめ合うのも、口付けも、
身体を、重ねるのも。
全部、全部。
そんな事を考え辟易として
部屋を出た。
そうだ、君と歩いたあの道を、
そう思って足を進めた。
人混みの中に見慣れた横顔が
あった。
隣の女は、それは、誰なのか。
艶やかな黒髪、低く華奢な体、赤く光るルージュが、ひとつひとつ私を追い詰めた。
角を曲がっていく君は
見たことない顔をしていた、
横顔ではなく、それを正面から
見ることが出来たらどんなに
良かったか。
分からない、分からなかった。
でも、それでも朝は来るから。
友達として貴方の隣を歩こうと
思う。この恋を貴方に告げることは私にはできない。
それは“僕”が無能だから。
そうだ、甘いことだけを
思い出していよう。
いつか貴方と食べたお菓子の味。
いつか友チョコと称してあげた
あのチョコレートのこと。
少しもつらいことや酸っぱい事は、思い出さないようにしよう。
隣を歩けなくても、本当の気持ちを告げることが出来なくても。
何も、出来なくても。
そうでもしないと、また、
息の仕方を忘れてしまうから。
だから、
美容室への予約は、もう少し先にしようと思った。
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